道家历代真仙社会通行卷之二
通玄天师,一号玄中师,在天皇时出洞真经一十二部,以无极大道下教人类。
古大先生,於地皇时出洞玄经一十二部,化人以无上正真的道。
盘古先生,在人皇时出洞神经一十二部,化人以太平无为之道。
鬱華子,在宓犧时降于田野,授天皇内文,又降河图八卦之文,教人以顺性之道。一号宛华,称田野子,作元阳经三十四卷。
广寿子,在祝融时降于恒山,授人皇内文,教人以安神之道。广寿子又号传豫子,一云作通精经九十卷。
大成子,又号传豫子,在神农时降于济阴,有黄帝问至尊之要,大成子答曰:“至尊者窈窕冥冥,不可言也。”
广成子居崆峒山石室中,被黄帝造访。黄帝退而闲居,再次前往见广成 子,其回答:“至尊者精微奥妙,无形无象,不可言也。”
力默子的弟子说:“广成子的所学,与我等不同。我等守其一而处其和,所以能长生不老。”力默子的弟 子乃助法先生,为士孙武。
随应子的弟 子有太极先生,说莊敬經;赤精子的弟 子有微言經;录图子的弟 子有黃庭經;务成子的弟 子有玄德經;尹壽子の弟 子有政事宣化經、通玄真一經、千二百卷的《道德經》。
真行子的弟 子在夏禹时代为商山的老师,他教授勤儉的生活方式,并授予禹九疇書。尹壽子は虞舜の時代に河陽に現れ、ドーディング経を伝えた。また彭祖にも伝えたとされ、一云には「通玄真一経七十巻」、「千二百巻のドーディング経」を著したと記される。
錫則子の兄弟は潜山で長生経を説き、恭愛の生き方を教えている。爾邑子は岐山で赤精経を説き、仁信の生き方を教えている。育成子は周武王が克商し祚った後、彼が守藏史となり柱下史となった璇璣経を作り、この作品は王に授けられた。一云では周武王時代に出た師で郭叔子の號を持つのに加えて続成とも呼び老君とも呼ばれたという。またこの人物は常人はもちろん柱下史までもありながら長生経三十巻を作り、これも王に授けたという。
最後に古大先生は西極の大秦や竺乾などの国々に出遊し、その間に古先生として知られるようになった。このように各種の情報が交錯しながら、この文章において歴代の偉大的賢人が活躍していることがわかる。